第7章 チャンスは、準備された心に降り立つ
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ウィルキンズの言い分
医者がX線写真をライトにかざすとき、彼が診ているものは、胸の映像というよりはむしろ彼らの心の内にあらかじめ用意されている「理論」
彼らの目にはそのような「理論」が前もって負荷されている
確かに、科学データは客観的に見える
しかし、データAを目にしているすべての観察者が、全く同じ客観的事実A'を見て取っているわけではない
そしてその異なり方、つまりデータが一体何を意味しているのかという最終的なアウトプットは常に言葉として現れる
その言葉は作り出すものが理論負荷性というフィルター ワトソンは、不正な方法で入手されたロザリンド・フランクリン撮影のDNAデータを見たとき、どの程度"準備された心"あるいは理論負荷があったのだろうか 彼の自伝『二重らせん』によれば、ウィルキンズがこっそり見せてくれたX線写真を見て、そのデータが意味するところを瞬時に理解して稲妻に打たれたかのごとき衝撃を受けた様子が描かれている
当時、ワトソンもそしてウィルキンズも、すぐにデータの詳細を解読できるほど、X線結晶学に精通していたわけではなかったというのが真相のようだ それはウィルキンズの自伝を読むとよくわかる
フランクリンのX線写真を盗用したとするこのエピソードは上記のワトソンの本でも特に悪びれることなくおおっぴらに書かれているし、このあと幕が切って落とされた、疾風怒濤のごとき遺伝子研究の絢爛期をダイナミックに描いたことで名高いH・F・ジャドソンの『分子生物学の夜明け 生命の秘密に挑んだ人たち』でも辛辣に批判されている ウィルキンズは沈黙をまもったが、『二重らせん 第三の男』で胸の内を明らかにした
ウィルキンズは、そのこと自体は軽率だったと振り返っているものの、決して盗用とか無断で行われたのではなく、フランクリンの許可が間接的にあったと書いている
当時フランクリンは、ウィルキンズとの確執に疲れ果て研究室を移動する決意を固めつつあった
フランクリンの下には大学院生ゴスリングがおり、置き去りにされる形のゴズリングは不可避的に、研究室の長であるウィルキンズの指導下に入った
したがって、フランクリンとゴスリングが共同で得たデータを閲覧する権限がウィルキンズにはあり、フランクリンもそれを認めていたというのである
『二重らせん 第三の男』には、ワトソンがこの写真を見たときのシーンが回顧されている
そこでワトソンは急いで帰ろうとするところで、ウィルキンズはこのデータがワトソンに決定的な情報を与えるとは思っていなかった
ワトソンにも、このデータを見て衝撃を受けたようなそぶりはまったくなかったという
少なくとも、ワトソンが口をあんぐりあけたといった記述はない
「準備された心」を持っていたのは誰か
DNA結晶を撮影したフランクリンのX線写真は、後になって見事なデータとの評価を受けることになる
が、それは一瞥しただけではフィルム状に、黒い点々が四方に飛び散ったようなきわめて抽象的な画像にしか見えない
それを意味づけるためには、手間隙のかかる様々な数学的変換と解析が必要となる
垣間見ただけでワトソンにそれができたとはにわかに信じがたい
もしウィルキンズのそばに「理論負荷」があって、その意味するところを十分把握していたとすれば、そのような最重要データをやすやすとライバルに見せるはずもない
むしろこのドラマの登場人物の中で、X線結晶構造解析について最も「準備された心」を持っていたと思われるのは、物理学出身で、すでにタンパク質X線データ解析の経験もあったフランシス・クリック ところがクリックはクリックで、自著『熱き探求の日々』において、「私の方は当時、その写真を見たことがなかったのだ」と記している
これはおそらく正確ではない
ショーウィーすぎるワトソンの『二重らせん』とはまったくトーンを異にした、けれんみのない淡々とした記述で綴られる
むしろ、瞠目すべき点は、この仕事以降のクリックの思索、すなわち、彼が遺伝子(DNA)とタンパク質のアミノ酸配列という2つの異なるコードをつなぐために、情報の橋渡しをするアダプターが必要であること、そしてそのアダプターに備わっているはずの性質を思考実験によって予言する部分にある クリックの静かな情熱
クリックはDNAにたどり着くまで、様々な研究を、あまり興味が持てないままに、どちらかといえばいやいやながら行っていた
利己的遺伝子理論を日本に敷衍したことで名高い竹内久美子の『そんなバカな!遺伝子と神について』の中に、クリックに捧げられた一章がある クリックがさまざまな回り道をしながらも絶えず静かな情熱を秘めて謎に向き合う姿が称えられている
「『What Mad Pursuit』、直訳すれば『なんて狂気の沙汰の追求なんだろう』とでもなるだろうか。キーツの詩の一節に由来する。但し、残念ながら邦題は『熱き探求の日々』」
この直訳はいただけない
まず構文上、どう考えても感嘆文とはなりえない
引用元となっているキーツの詩は、「ギリシャの壺のオード」という有名なもので、詩人が古代の壺に問いを欠ける
つまりこれは疑問文である
いかなる狂気が(それを)追求するのであろうか?という意味だろう
もちろん、クリックにとっての「それ」とは生命の最大の神秘、遺伝子の謎であった
百歩譲って、クリックがこれを疑問文とはせずに取り出したのであれば、What イコール somethingとなって、狂気が追い求めるところの何ものか、という意味に読むこともできる
その後、科学行政の道に進んで、ゲノム・プロジェクトの主導などそこでも大家をなしたワトソンとは異なり、クリックは終生、一生研究を貫いた
ラセン構造解明の真実
クリックが、しかし、自伝の中で注意深く触れることを避けているある事実が存在する
それこそがDNA構造を解く上で決定的な鍵を握っていたのであり、また、科学者が科学者の営みを評価するピア・レビューの陥穽を浮き彫りにするものでもあった クリックは、ロザリンド・フランクリンがまったく預かり知らない間に、DNAに関する彼女のデータを覗き見していた
フランクリンは1952年、自分の研究データをまとめたレポートを年次報告書として英国医学研究機構に提出した
英国医学研究機構は彼女に研究資金を提供している公的機関である
研究者は資金提供元に対して、研究成果の報告をすることが義務付けられており、その成果いかんによって資金提供継続の可否が決められるのが普通
だからフランクリンはあらん限りの成果を詰め込んで詳細な報告書を作り上げた
ただし、これは学術論文ではない
したがって厳密なピア・レビュー、すなわち専門家学者による論文価値審査を受けることはなく、公表されることもない そのかわり、研究者は未発表データや研究途上の試験的データも盛り込むことができる
とはいえ、英国医学研究機構の予算権限を持つメンバー達がこの報告書に目を通すことになる
その意味では、この報告書もまた研究論文と同様、ピア・レビューに晒されることになる ペルーツは機構の委員であり、かつ、クリックの所属するケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所では、彼の指導教官にあたる立場にいた
クリックはフランクリンのデータを見ることができたのである
この報告書はワトソンとクリックにとってありえないほど貴重な意味をもつ文書だった
そこには生データだけでなく、フランクリン自身の手による測定数値や解釈も書き込まれていた
そこにはDNA結晶の単位格子についての解析データが明記されていた
これを見ればDNAらせんの直系や一巻きの大きさ、そしてその間にはいくつの塩基が階段状に配置されているかが解読できたはず
その上で報告書にはさりげない、しかし最も重い意味を持つ記述があった
「DNAの結晶構造はC2空間群である」
この一文は、そのままクリックのPrepared Mindにストンとはまった
C2空間群とは、2つの構成単位が互いに逆方向をとって点対称的に配置されたとき成立する クリックの心には、タンパク質ヘモグロビンの結晶構造がC2空間群をとっているという理論の負荷がしっかりすぎるほどしっかりとかかっていた
Chance favors the prepared minds.
パスツールが語ったとされるこの言葉の通りのことが起きた おそらく、ワトソンとクリックはこの報告書を前にして、初めて自分たちのモデルの正しさを確信できたのだ
すぐに彼らは論文を『ネイチャー』誌に送った
しかし、ピアレビューの途上にある、未発表データを含む報告書が、本人の全く預かり知らないうちに、ひそかにライバル研究者の手に入り、それが鍵となって世紀の大発見につながったのであれば、これは端的にいって重大な研究上のルール違反である
ペルーツは、1969年、『サイエンス』誌上で、「あの頃の私は未熟で、事務手続きにはむとんちゃくだった。それに報告書が極秘のものではなかったので、提供しない理由はないように思えた」と弁明している
同じ壇上には、タンパク質の構造解析への貢献を認められたマックス・ペルーツの姿があった
ある意味で「共犯者たち」がその場所にそろった
ロザリンド・フランクリンは、この年の4年前の1958年4月、ガンに侵されて37歳でこの世を去っていた
彼女はその立体構造をほぼ解き終わっていた
仕事は演繹的な論理のジャンプを許さない完璧な帰納的アプローチによってのみ構築されていた
ウイルスはらせん状のRNAを中心に持ち、それを取り巻くようにタンパク質のサブユニットが回転弧を描きながらつみあがった未来的な円柱構造をとっていた それはまさに彼女の思考を文字通りあとづけるように、周回しながらも同じ場所に戻らず規則正しいペースで上昇を繰り返していた
一説によれば、X線データ線を無防備に浴びすぎたことが、彼女の若すぎる死につながったのではないかと言われている
シュレーディンガーの問い
ワトソンもクリックも、そしてウィルキンズも、自分たちが生命の謎を探求しようと思うに至ったきっかけとしてある
1944年というこの年号
それはまだ世界に認められず、当然のことながら物理学者シュレーディンガーにも届いていない
いうまでもなくシュレーディンガーは、アインシュタインと並んで二十世紀初頭の理論物理学を築いた天才 シュレーディンガーには1933年ノーベル物理学賞が授与された
しかしその頃には彼は理論物理学の「現場」から姿を消していた
自らがその基礎を築いたはずの量子力学におけるその後の発展、つまり不確実性や非連続性という概念に対して、彼はかたくなまでに疑義と不信を抱き、あえてそこから背を向けた 1930年代終わりにはアイルランドのダブリンに隠遁し、学界の主流から完全に外れた
1943年2月、第二次世界大戦のさなか、ダブリンの高等学術研究所の主催で行われた一般向け連続公開講座の講義録として、この"What is Life?"は刊行された
ここには孤独な認識の変遷が結実している
物理学は今後、最も複雑で不可思議な現象の解明に向かうべきである。それは生命である。
が、彼の真意はむしろ逆だった
生命現象は神秘ではない
生命現象はことごく、そしてあますところなく物理と化学の言葉だけで説明しうるはずである
その静かな熱に、若きワトソンが、クリックが、ウィルキンズが感応したのである
シュレーディンガーは『生命とは何か』の中できわめて重要な2つの問いを立てていた
1つ目は、遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶デハニか、と予言したこと
2つ目は、「なぜ原子はそんなに小さいのか?」というもの